サラエボの位置する盆地はアドリア海とバルカン半島内陸部を結ぶ交通の要衝で、資源も豊かであり、紀元前3世紀から人が居住していた。
15世紀末、ボスニア地方を併合して属州としたオスマン帝国は、ボスニア県(のちに州に昇格)支配の拠点として盆地内の、それまで小さな砦しかなかったミリャッカ川沿いのヴフルボスナの地に町を建設。16世紀前半にボスニア県知事ヒュスレヴ・ベイがモスクなどのイスラム教の宗教施設やバザールなどの公共施設を建設し、ボスニアの首都、商業の中心都市に発展した。サラエボ(Sarajevo)の都市名はトルコ語で「宮殿のある平地」を意味する「サライ・オヴァス(Saray Ovası)」に由来する。
ボスニアの多くの人々がイスラム教に改宗した結果、サラエボはバルカン半島におけるイスラム教・イスラム文化の中心都市となった。1908年にボスニアがオーストリア・ハンガリー帝国に併合された後も、数多くのイスラム教徒が住む町で、多くの優れた建築遺産を有する、オスマン時代の面影を残した都市である。1984年には冬季オリンピックが開催され、共産圏初の冬季オリンピック開催地となった。
しかし、1992年に始まったボスニア内戦によって、甚大な被害を受けた。現在も内戦の爪痕は深く残っており、多く残る破壊された建物が内戦のすさまじさを物語っている。
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